unsui法純の「波蘭便り」

人身得ること難し 

修證義という在家向けに『正法眼蔵』の言葉を抜き出したものを読むと、第一章のなかには「人身得ること難し」という言葉が書いてあります。即ち、人間として生まれるのは非常に難しいということです。これは一体どういう意味なんでしょうか。

仏教では人間として生まれる、ということを盲亀浮木の話に喩えています。大海の底に盲目の亀がいて、百年にたった一度、海面に浮かび上がります。この大海に一本の浮木が漂流して、その浮木に到達することができるチャンスは人間としてうまれると喩えています。

人間は、普段、人生とは何かをまったく考えず、毎日毎日起きて、勤め先に行って、目が回るほど一所懸命働いて、夜自宅します。自宅したら、できた晩飯を食って、テレビの前で、アサヒビールを飲みながら、うとうとします。それから、床に就いて寝ます。一日一日なんと速いことか。一ヶ月もあっという間である。一年は早いものである。結局、死んで、われわれの冒険がこれで終わって、天国か地獄に行くというふうに凡人が思っている。人間はよく自分の人生は当たり前なことだと思っているらしいです。つまり、朝起きて、バスルームでお湯を浴びようとしたら、お湯が出るはずだと。逆にいえば、ある日の、同じ流し台でお湯がなくなるとはまったく思わない。スターバックスにいったとき、ホットコーヒーがあるという期待と一緒にいきます。どうしてですか。自分の人生はアタリマエのことだと思っているからです。朝起きて、息を吸うことができるのを全然感謝していません。バス停に就いて、バスが待っているのもぜんぜん感謝していません。夜、妻が晩ご飯をつくってくれたのも全然感謝していません。

しかし、仏教者として、人生とはただ生まれてから死ぬまでの70年間だけでなく、生まれる前にも命があり、死ぬ後に命もあると信じています。しかも、輪廻転生のことをいうと、死んでから、すぐ成佛じゃなくて、生まれ変わり、また臍の緒を切ってチャリんこにのせてもらって、小学校へ!

僕がよく日本人に仏教についてとか、仏教の考え方など様々な質問され、答えたら、「へええ」というコメントしか出ません。会話がこれで終わってしまいます。本人はなにもしません。前述の盲目の亀の話と同じになるかもしれません。これを読んで「なるほど」と思っても、次の日に月給全部をパチンコで無駄遣いします。盲目の亀のことはもう昔話になってしまう。盲目の亀は架空のものだけど、大切なのはこの話の意味なんです。仏教ではこういう方便の話は人間を怖がらせるというわけではなく、インスパイアーさせるために使われています。自分の人生について意志的に考え、なるべく自分の心を鍛え、そこで初めて役に立ちます。

しかし、これらの説話がただの机上の空論にならないようにどうすればいいでしょか。

「よし、明日から人生の価値を大切にするぞ」ということは無理なので、自分の心が人生の大切さを観ることができるようにどうすればいいのか。

仏教ではこれをするために様々な方法がありますが、毎日忙しくて忙しくて、瞑想をする時間もないわれわれ凡人にとっては、一番いいのは「分析な思考」―積極的な思考ということです。

例えば、男性を例にあげると、カフェでコーヒーを飲みながら、向こうのテーブルにいる美しい女の子を見て、頭の中でいろいろな想像/妄想をする場合もある。一緒に映画館に行くこと、俺と結婚してくれなど。

こういう思考と想像はとても簡単ですね。しかも、楽しいです(笑)。女の子について一生考えていて、その夢をどうやっても叶えたい男性もいるらしいです。

仏教的な分析な思考も同じです、もちろん考える対象は違いますけど。こういう思考の練習はだれでも、どこでも出来ます。寺、禅センター、山の上にある庵屋ではなく、一般的な場所やJRの電車内でも構いません。実は電車のほうがいいと思います。女の子が沢山いますから(笑)

人生の素晴らしさは仏教の教義でなく、事実です。ただ、仏教はわれわれ、迷える人間にどうやって毎日の命の美を観て、自分の役割と大切さについて考えさせてくれている。

ですから、電車に乗っている時、公園にいた時、自分の心の中に観て、自分の人生について考えて、ポジティブな特徴を見つけると心が明るくなると思います。

人間はだいぶネガティブなことに集中する癖があります。

金が足りない。あいつが嫌い。友達があまりいない。隣人の車のほうがいい。太っている。

自分の人生のポジティブなことがあまり見えないみたいです。

世界の人口のほとんどは、学校へ通うチャンスがなく、口にする食べ物もない。その人々はフェイスブックについて知る機会さえない。

この間、僕が尊敬しているチベットの仏教師の法話を聞きました。リンポチェは貴重な人生について言われました。次の話を述べました。ある時、ダライ・ラマ氏と一緒にインドに行って、山の中に住んでいる家族を訪ねました。その家族には娘がひとりいました。しかし、彼女は生まれながら盲ろう者でした。リンポチェはどうやって彼女を手伝うかわからなかったと。

道元禅師は「人身得ること難し」と言いますけど、ただ難しさだけでなく、今の人生、つまり、人生の貴重さを観ることの大切さが注目されています。

私たちの人生はとてもユニークなことです。自分の人生の価値を観て、周りにある小さいことも大切にすると、君の心がきっと変わります。さらにオープンになり、それで沢山の光が入ります。梵語では「BUHA」という言葉があります。「光」という意味です。この「BUHA」の「BU」から日本語の「仏」という言葉がでたそうです。言い換えると、仏とは光ということなんです。命の光なんです。この仏の光が心に入ったら、自分の人生は願いを果たす宝珠になります。ただ自分のためにだけでなく、光で周りの人々も照らす。


くそ坊主より

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人身得ること難し。人身失うこと易し (@東北。大震災後)

2011/06/12

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